3日後の10月13日。
昨年亡くなった親父の誕生日だ。


亡くなった人の誕生日を祝ってどうする。いや、どうもしないけどね。墓は福岡だし、高松には写真立てしか持ってきてないし。



幼馴染曰く、どんどん親父に似てきた俺だけど彼が望む道は歩けず、子供が育った以外は何も出来てはいない。
いつかは彼の年齢を超すんだろうけれど、まだまだそんな姿は想像出来ない。


でも、昨日、梶浦さんのインタビューを観ながら熱くなったときに、そんな気持ちはまだまだ無くならないんだ、過去も将来も今の積み重ねだな、と思えて嬉しかった。そう思ったときに、親父の写真立てがそこにあった。


話しかけたり、かけられたり、そんなオカルトなことは無かったけれど、自然とそれからしんどい作業に取り掛かり、4時までやれた。


いつかは追いつき追い越せるに違いない。

そう、一生思う。


やらねばならぬことは山のようにあり、それは幸せなことだと思いつつも、手につかない。

母と電話で話していると、いつまで自分を優先していていいのだろうか、と思う。

あるべき、とかのべき論ではなく、感情として身近にいてやりたい。

そうしない自分のエゴはなかなかの醜さ。

それはもう十二分にわかってるつもり。
どうせ好きなように生きるのだ。
でも何を受け入れるか、耐えるかは考えてしまうな。

誰もが健康で好きなように生きていられる時間は本当に短いね。

20歳になったから、
結婚したから、
子供がいるから、

そんな理由で人は大人になるわけではない。
それはきっかけでしかない。


餓鬼のような感性を子供に押しつけることを当世では「毒親」なんて言うけれど、それはきっと昔から変わらない。
自立を認知する年齢って人それぞれなんだろうなー、とこの頃よく思う。

おそらく俺は本当の意味で自立してはいない。

家族が居なければきっとまともに働かないし、金が無いことを理由に他人を傷つけるだろうし、他人を幸せにしない自分を呪うふりをしながら甘え続けているだろう。
酒の量はきっと数倍。

家族じゃなくても、大事な人の存在は人間を正気にすることがある。正気を保つ時間が長くなって初めて自立が訪れるんじゃなかろうか。


俺は中折れって感じかなー。


そんな俺を正気に、またはムキにさせる数少ない人間に長男がいる。

彼と妹がいなければ、俺は世の中についていけなかっただろうし、親をただ悲しませたに違いない。
まず、間違いなく音楽はやめていただろう。

だから今いらっしゃる、少数派の理解者の皆様とは会えなかった。


少しずつ大人になってきた俺は、彼や妹の未来をあんまり考えなくなり、干渉することもなくなった。

もう俺より賢いし、やさしい。
あとはたくさん失敗して強くなるだけ。



そんな長男の就職先が決まった。
仕事はいつか辞めるものだから、これからも何度も就職先が決まっていくんだろうけれど、この日の嬉しさは忘れない。
姪の就職先が決まった時は嬉しくて散財したから、長男の時は慎重になっているが嬉しいに決まってる。


小学校の先生になるらしいので、毒親や俺のような馬鹿親と対峙するんだろうね。楽しんで苦しんで最後まで笑って働いてください。


なんだか一冊の本を読み終えた感じ。
お前はまだその本を書いている気すらせんのやろうね。


また、マチルダ観に行こう。
可愛い彼女に捨てられませんように。



小学生の頃に書いたらしい。

子供の頃の写真って人生の鏡になるよ。
暗い時代も良い時代も笑顔を失わんように。


 

長男にも長女にもあまり塾を勧めなかった。

 

経済的な理由が8割だけれど、それが成績向上につながるとは思えなかったのも事実。

二人とも、特に長女は高校に居残って勉強し進学した。

今考えれば、塾であろうとどこであろうと、彼らがやる気であればちゃんと成績向上に役立てることはできたんだ、と思う。

俺が貧乏ゆえに独学を押しつけたに過ぎない。

 

申し訳なかったなあ。

まだ、終わってはいないけれど。

 

 

この「申し訳なかったな」「悪いことしちゃったな」という感じ。

 

 

これは父が晩年、俺に言ってくれた言葉でもあった。

 

町の本屋の親父に収まりたくない、高度成長期のパワーをフルに発揮したい父は、店舗拡大に飽き足らず、学習塾の経営に乗り出した。「青雲学館」という微妙なネーミングの塾のFCをやることにしたのだ。

 

少年野球で補欠のピッチャーだった俺は、春休み、夏休みのたびにその生徒として父の経営する塾に参加した。

それは父の勧めによるもので、「申し訳なかったな」「悪いことしちゃったな」というのは、野球をやりたかった俺を無理矢理塾に引き込んだという思いがあったそうだ。

 

小学校では学級委員に立候補してなったり、お調子者を気取って逆に虐められたり、勉強はそこそこできたけど、スポーツもそこそこで、いわゆる残念なタイプのお坊ちゃんだった。

ひとりであまり他人には言えない妄想をしながらも、どこかそういう自分が怖くて、常に友達と居たかった。

へたくそなのに続けた少年野球もそのチームに居たかったからだ。

補欠のくせにコーチボックスに立つ時は自分が主人公のように思ってオーバーアクションする痛い子供だった。

 

だから親父の勧めではあっても新しい仲間がいるであろう塾に行くのは嫌じゃなかった。

たぶんそれはそれで楽しかったはずだ。

この写真はその塾のみんなとの写真。

 

真ん中の一番奥でチョケている。

たぶん誰か好きな子でもいたんだ。

めっちゃ楽しそうやんか。

 

どんな環境でも楽しくなるもんだ。

長男、長女もそう思ってくれたらいいな。

 

 

 

それだけ学習環境を整えていただいたにも関わらず中学受験には失敗し地元の中学に進んだ。

ギターを買うために新聞配達をすれば煙草を見つかり、

悪目立ちをするたびに職員室で正座やビンタやキックをいただく等、若干の進路変更はあったけど、長く付き合える同級生と会えた。

 

最高じゃないか、と思う。

俺にとって。

 

どんどん父に似ていくよ。

 


斎場で仮眠を取り、朝から事務処理を急ぐ。
大きめのホールを使わせてもらい、葬儀は無事終わった。

挨拶で泣いてしまったのが悔しい。
自分の言葉で、笑顔で、しっかりと。
それだけをやり抜けばよかったのに。
未熟な自分をまた思い知った。

火葬場で骨を拾う作業がどうしても好きになれない。
でも今日はそんなに嫌ではなかった。
自分の感情なんかどうでもよかったからかもしれない。

役目を果たすこと。
先ずはそれだ。


自宅に義母と義弟を迎えて細君を交え深夜まで長話。
有難い。

泡盛でも酔えない夜だった。
零時頃に帰宅し細君と少し話し、床につく。
少しして母から電話があり、父の容態が急変したことを知る。

病院にかけつけるも処置中ということで病室には入れず、待つこと約一時間。
父は亡くなった。

元々弱っていた母が気がかりで、父の死を受け止めるより母を支えることに集中した。

斎場へ向かう。

通夜と葬儀の段取りを急いだ。
冷たくなった父と一緒に母が正気で数日いられるとは思えなかったし、(なぜ、こんなに早く)という気持ちばかりが目を覆ってしまい、まわりが何も見えなくなりそうだったから。

家族葬でひっそりと、というのが生前の父が希望だと母が言うので、極力周囲に知らせず通夜を急いだ。
それでも駆けつけていただいた方が多く、通夜が終わって一人で棺の父と二人でビールを呑んでいるときに、
「悪いけど、お客様優先で考えるけん。あーたの希望は叶わんよ」
と父に言った。

父が鼻で笑った気がした。
 

八時起床。
居間からアセンブリの作業音。

四時までやっていたのに早起きしてまた作業にかかっていた細君。
本当によく働く人で、根性も人一倍。

お金になる、ならないは大事だし稼ぐ為にやっていることだけど、それだけじゃない。器量なんだろうな。

感謝してます。
ありがとうございます。

今日はジャガ見先輩のUST番組の収録でした。終わってすぐ最終の新幹線で広島へ。
明朝からの社内監査に備えるのです。

明日はVooDooLoungeでまひこさんライブにアジと出るのですが、お客様の予想は1名。厳しい!ギリギリまで頑張ります。
やれることやるしかないもんね。

週末のVSbigmamaに向けて、長女と2回ほどリハーサルをした。
なんで、長女に1曲歌わせようと思ったのか。
今日、池見さんからも聴かれたけれど。

カラオケとバンドは違うし、そんなお楽しみ会は家でやんなよ、と言われそうですが、まあちょっと違うんだ。

長女が産まれる前から歌ってきた歌、お客さんに育てられた歌「やさしいにんじん」を、少し自分に似た感性の長女が自分なりに歌うこと、そして俺が良いと思った点を磨いて伝えること。

これは毎回観てくれるお客さんへのプレゼントになるんじゃないかな、と思ったからです。

カラオケで歌う「津軽海峡冬景色」にジンときたってのもあるけれど。


そんでね、ちゃんと磨けたと思います。
にんじん1曲をしっかり歌えていると思うし、他の人がやるカヴァーとは違うアプローチやと思います。

まあ、たいしたことないだろうけど。


18日はたくさんのライブと重なって申し訳ないけど、楽しみにして下さい。
俺の新曲もたぶん良いと思います。大場さんが良いって言ってくださったし。

きっちり頑張っても谷本さんには敵わない。
でもぶつかってこそ音楽やし、ライブやけんね。

明日も頑張ります!

戦没学生だった叔父の話は何度も書いた

bigmamaのワンマンの際にはその叔父の手記を引用し美空ひばりが補作詞した「白い勲章」をカヴァーした。(失敗でした)

果たして叔父はそんな焦点の当て方を望んでいるのだろうか、と自問すれば「違うやろ」とも思う。

「宅嶋中尉」になった叔父は訓練中に亡くなったらしいが、亡くなった原因はこれだけ色んな本が出ていてもはっきりと書かれていない。俺も知らない。
訓練中の事故死、だと思うけれど、突き詰めても仕方がないのか、親父からも聞いたことがない。想い溢れた手記を苦しい中で出版したのは祖父だし、「宅嶋中尉」になってしまった期待の長男を亡くした悲しみを昇華させたい思いが祖父にはあったと思う。

「くちなしの花」という手記はそうした祖父と叔父の作品なのかもしれない。
その手記がまた再販されるようだ。
詳しくは聞いていないけど、それに合わせてか毎日新聞が父に取材したらしい。

(毎日新聞・2015/7/10朝刊27面)

夏になるとこうして<争ってでも自分の正義を通したい>という気持ちを諌めるためにか、戦争で犠牲になった先人を想う記事が出る。

父は「自由に物が言える平和」に意味があると言い(それが「くちなし」の反駁である)、
俺は何を言うかが大事だと言い、よく言い争う。

そうした時間を持てる現在が幸せなんだよ、と言うのはよくわかる。
わかるが、その幸せに浸っている時間が少なくなりつつあるのも現実なのだ。
暗い時代はいつもそのへんにいる。



「俺は俺であっても、俺の俺ではない。」

当時、22歳の大学生にこう言わせたものが怖い。
<俺であって、俺の俺ではない>のは大人の証でもあるけれど、強いるものが違えばそれは恐ろしい不幸だ。

だから自分探しをしようと言うのではない。
悪者を叩け!反対!反対!反対!運動でもない。

自分の正気を保てるものには俺であり、それを護るために<俺>でなくなる。
これは普遍の事実だ。
怖いけれど、身近な事実と向き合っていくしかない。



俺や家族や友達が向き合う事実がなんなのか、そこから目をそらさないようにしなきゃな、と繰り返し咲く「くちなしの花」を読んで思うのでした。




徳治くんは80歳近くになってもアイディアマンで、パソコンが使えない彼は色んなモノを切り貼りして企画書のようなものを作っては、どこかのエライさんに送りつけている。

「はい、はい、お爺ちゃんご苦労様」 
とは書いていないが、行間にそんな気持ちが溢れる慇懃無礼な返事をもらっては俺に見せにくる。 

今回は「通った!これは金なるばい!」と鼻息が荒い。 

きっといつもの落とし穴に落ちたり、これぐらいはいいだろうと思ったハズのズルに足元をすくわれるに違いない。 


まったくのドンキホーテというわけではなく、時々はそれでヤマをあて家族を養ってきた。 

20年近く営んでいた本屋を閉めて人に譲ってからの彼は解体屋さんの犬小屋掃除からやり直した。プライドは人一倍ある男なので、その話は独立してから聞いた。 

俺がアレにハマっていよいよ追い込まれた時は、付き合いたくもないであろう筋の人とわたりをつけて助けてくれた。 


母・久美子はそんな徳治くんが面倒くさいけど、彼の明るさに救われたと言っている。 
何度もそれは聞いた。 
そして夜中に眠れずに部屋の一点をボーっと見つめている姿も見たと言っていた。 

明るさには影があり、徳治くんは太平楽な借金馬鹿という一面以外に、とても大きな闇を抱えているのだ。それは家族には見せないけれど、浮気相手とかには見せてきたんだろうな。 


よくよく親子というは似てしまうもので、徳治くんの気質は俺がそっくり受け継いでいる。 
俺の場合は闇というより、自分の中の怪物をどうコントロールするか、だけれど。 


50近くにもなって親を労われないのはつらい。 
いいかげん、頼られる環境を作らなきゃ、とこの数年は色々なものを引き継いできた。 
親に小遣いを渡せる暮らしを続けるには今の仕事を止められない。 

嫁はそんな俺を評して「あんたはいつか急にいなくなる気がするけん、無理を重ねるのは怖い」と言う。クール、クールババアだ。 

背伸びするのは血筋なんだよ。きっと。 



今年はちゃんとモノをプレゼントしようと、徳治くんには名前入りのボールペンを進呈した。 
彼からはなんちゃら企画の清書とイラストを頼まれた。 

イラストはLancersでプロにお願いした。 
パソコン一つあればなんでも出来ると思っているらしい。 
徳治くん、息子は結構能無しなので、無理ですよ。 



他人に自慢することはないし、親父の不甲斐ない姿は友達にまで見られているので、失笑ネタにしているが、俺は親父がすごく好きで、親父みたいに生きていきたい。 



息子は「後日、Amazonからなんか贈る」とメッセージをくれたが、娘は友達との遊びに夢中で無反応どころか昼飯を作らされる始末。そんなもんでいい。 

「すべての男は消耗品である」って微妙な小説があったけど、消耗品であろうとなんであろうと、必要とされる場所で生きて死んでいければ、それ以上は夢物語で良いではないか。 


夢なんかより、素晴らしいもんが世の中にはたくさんある。 
徳治くん、もうしばらく味わってください。 


※後日、自宅に帰ると娘はプレゼントを買ってくれておりました。さすが俺より良い人間。えらい。

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