斎場で仮眠を取り、朝から事務処理を急ぐ。
大きめのホールを使わせてもらい、葬儀は無事終わった。

挨拶で泣いてしまったのが悔しい。
自分の言葉で、笑顔で、しっかりと。
それだけをやり抜けばよかったのに。
未熟な自分をまた思い知った。

火葬場で骨を拾う作業がどうしても好きになれない。
でも今日はそんなに嫌ではなかった。
自分の感情なんかどうでもよかったからかもしれない。

役目を果たすこと。
先ずはそれだ。


自宅に義母と義弟を迎えて細君を交え深夜まで長話。
有難い。

泡盛でも酔えない夜だった。
零時頃に帰宅し細君と少し話し、床につく。
少しして母から電話があり、父の容態が急変したことを知る。

病院にかけつけるも処置中ということで病室には入れず、待つこと約一時間。
父は亡くなった。

元々弱っていた母が気がかりで、父の死を受け止めるより母を支えることに集中した。

斎場へ向かう。

通夜と葬儀の段取りを急いだ。
冷たくなった父と一緒に母が正気で数日いられるとは思えなかったし、(なぜ、こんなに早く)という気持ちばかりが目を覆ってしまい、まわりが何も見えなくなりそうだったから。

家族葬でひっそりと、というのが生前の父が希望だと母が言うので、極力周囲に知らせず通夜を急いだ。
それでも駆けつけていただいた方が多く、通夜が終わって一人で棺の父と二人でビールを呑んでいるときに、
「悪いけど、お客様優先で考えるけん。あーたの希望は叶わんよ」
と父に言った。

父が鼻で笑った気がした。
 

八時起床。
居間からアセンブリの作業音。

四時までやっていたのに早起きしてまた作業にかかっていた細君。
本当によく働く人で、根性も人一倍。

お金になる、ならないは大事だし稼ぐ為にやっていることだけど、それだけじゃない。器量なんだろうな。

感謝してます。
ありがとうございます。

今日はジャガ見先輩のUST番組の収録でした。終わってすぐ最終の新幹線で広島へ。
明朝からの社内監査に備えるのです。

明日はVooDooLoungeでまひこさんライブにアジと出るのですが、お客様の予想は1名。厳しい!ギリギリまで頑張ります。
やれることやるしかないもんね。

週末のVSbigmamaに向けて、長女と2回ほどリハーサルをした。
なんで、長女に1曲歌わせようと思ったのか。
今日、池見さんからも聴かれたけれど。

カラオケとバンドは違うし、そんなお楽しみ会は家でやんなよ、と言われそうですが、まあちょっと違うんだ。

長女が産まれる前から歌ってきた歌、お客さんに育てられた歌「やさしいにんじん」を、少し自分に似た感性の長女が自分なりに歌うこと、そして俺が良いと思った点を磨いて伝えること。

これは毎回観てくれるお客さんへのプレゼントになるんじゃないかな、と思ったからです。

カラオケで歌う「津軽海峡冬景色」にジンときたってのもあるけれど。


そんでね、ちゃんと磨けたと思います。
にんじん1曲をしっかり歌えていると思うし、他の人がやるカヴァーとは違うアプローチやと思います。

まあ、たいしたことないだろうけど。


18日はたくさんのライブと重なって申し訳ないけど、楽しみにして下さい。
俺の新曲もたぶん良いと思います。大場さんが良いって言ってくださったし。

きっちり頑張っても谷本さんには敵わない。
でもぶつかってこそ音楽やし、ライブやけんね。

明日も頑張ります!

戦没学生だった叔父の話は何度も書いた

bigmamaのワンマンの際にはその叔父の手記を引用し美空ひばりが補作詞した「白い勲章」をカヴァーした。(失敗でした)

果たして叔父はそんな焦点の当て方を望んでいるのだろうか、と自問すれば「違うやろ」とも思う。

「宅嶋中尉」になった叔父は訓練中に亡くなったらしいが、亡くなった原因はこれだけ色んな本が出ていてもはっきりと書かれていない。俺も知らない。
訓練中の事故死、だと思うけれど、突き詰めても仕方がないのか、親父からも聞いたことがない。想い溢れた手記を苦しい中で出版したのは祖父だし、「宅嶋中尉」になってしまった期待の長男を亡くした悲しみを昇華させたい思いが祖父にはあったと思う。

「くちなしの花」という手記はそうした祖父と叔父の作品なのかもしれない。
その手記がまた再販されるようだ。
詳しくは聞いていないけど、それに合わせてか毎日新聞が父に取材したらしい。

(毎日新聞・2015/7/10朝刊27面)

夏になるとこうして<争ってでも自分の正義を通したい>という気持ちを諌めるためにか、戦争で犠牲になった先人を想う記事が出る。

父は「自由に物が言える平和」に意味があると言い(それが「くちなし」の反駁である)、
俺は何を言うかが大事だと言い、よく言い争う。

そうした時間を持てる現在が幸せなんだよ、と言うのはよくわかる。
わかるが、その幸せに浸っている時間が少なくなりつつあるのも現実なのだ。
暗い時代はいつもそのへんにいる。



「俺は俺であっても、俺の俺ではない。」

当時、22歳の大学生にこう言わせたものが怖い。
<俺であって、俺の俺ではない>のは大人の証でもあるけれど、強いるものが違えばそれは恐ろしい不幸だ。

だから自分探しをしようと言うのではない。
悪者を叩け!反対!反対!反対!運動でもない。

自分の正気を保てるものには俺であり、それを護るために<俺>でなくなる。
これは普遍の事実だ。
怖いけれど、身近な事実と向き合っていくしかない。



俺や家族や友達が向き合う事実がなんなのか、そこから目をそらさないようにしなきゃな、と繰り返し咲く「くちなしの花」を読んで思うのでした。




徳治くんは80歳近くになってもアイディアマンで、パソコンが使えない彼は色んなモノを切り貼りして企画書のようなものを作っては、どこかのエライさんに送りつけている。

「はい、はい、お爺ちゃんご苦労様」 
とは書いていないが、行間にそんな気持ちが溢れる慇懃無礼な返事をもらっては俺に見せにくる。 

今回は「通った!これは金なるばい!」と鼻息が荒い。 

きっといつもの落とし穴に落ちたり、これぐらいはいいだろうと思ったハズのズルに足元をすくわれるに違いない。 


まったくのドンキホーテというわけではなく、時々はそれでヤマをあて家族を養ってきた。 

20年近く営んでいた本屋を閉めて人に譲ってからの彼は解体屋さんの犬小屋掃除からやり直した。プライドは人一倍ある男なので、その話は独立してから聞いた。 

俺がアレにハマっていよいよ追い込まれた時は、付き合いたくもないであろう筋の人とわたりをつけて助けてくれた。 


母・久美子はそんな徳治くんが面倒くさいけど、彼の明るさに救われたと言っている。 
何度もそれは聞いた。 
そして夜中に眠れずに部屋の一点をボーっと見つめている姿も見たと言っていた。 

明るさには影があり、徳治くんは太平楽な借金馬鹿という一面以外に、とても大きな闇を抱えているのだ。それは家族には見せないけれど、浮気相手とかには見せてきたんだろうな。 


よくよく親子というは似てしまうもので、徳治くんの気質は俺がそっくり受け継いでいる。 
俺の場合は闇というより、自分の中の怪物をどうコントロールするか、だけれど。 


50近くにもなって親を労われないのはつらい。 
いいかげん、頼られる環境を作らなきゃ、とこの数年は色々なものを引き継いできた。 
親に小遣いを渡せる暮らしを続けるには今の仕事を止められない。 

嫁はそんな俺を評して「あんたはいつか急にいなくなる気がするけん、無理を重ねるのは怖い」と言う。クール、クールババアだ。 

背伸びするのは血筋なんだよ。きっと。 



今年はちゃんとモノをプレゼントしようと、徳治くんには名前入りのボールペンを進呈した。 
彼からはなんちゃら企画の清書とイラストを頼まれた。 

イラストはLancersでプロにお願いした。 
パソコン一つあればなんでも出来ると思っているらしい。 
徳治くん、息子は結構能無しなので、無理ですよ。 



他人に自慢することはないし、親父の不甲斐ない姿は友達にまで見られているので、失笑ネタにしているが、俺は親父がすごく好きで、親父みたいに生きていきたい。 



息子は「後日、Amazonからなんか贈る」とメッセージをくれたが、娘は友達との遊びに夢中で無反応どころか昼飯を作らされる始末。そんなもんでいい。 

「すべての男は消耗品である」って微妙な小説があったけど、消耗品であろうとなんであろうと、必要とされる場所で生きて死んでいければ、それ以上は夢物語で良いではないか。 


夢なんかより、素晴らしいもんが世の中にはたくさんある。 
徳治くん、もうしばらく味わってください。 


※後日、自宅に帰ると娘はプレゼントを買ってくれておりました。さすが俺より良い人間。えらい。

ここまで寝れないと嫌になるなー。
出張先のビジネスホテルが苦手になるとは。何か対策を考えたい2015年が始まりました。

今年はやりたい事は山のようにあります。

先ずは福岡への引越し。
この4年半は長く感じた。
子育て仕上げの時期だったから、細君の負担は相当だったに違いない。
家族と友人と職場は大切です。


そんな当たり前な事実が沁みる。


佐賀で一人暮らしをしている長男は明るくなった。大学生活が楽しいんやろうね。高校で培った強さに明るさが加わった。交互に積み重ねていって欲しい。

俺たちが今、作っている社会の欠点に負けない人になれる筈だ。



高校バスケのピークとも言える2年生時に靭帯を切ってしまった長女。俺は或る意味この大怪我を歓迎している。
足りなかった強さを積み重ねていけるから。きっと試合には間に合わせるやろうしね。
色々な経験をして面白い女になって欲しい。歌も聴きたい。




一緒にいる時間が全てでは無いけど、自宅で寝起きしたり、炊事とか家事をしていると家族を身近に感じられる。それが自分のリズムを支えるよね。

好きな友達と一緒におるのもそう。



元々、放蕩息子の類であった俺が、父、母、義母、姉、義弟、姪を強く思うようになった。(ひそかに)

50歳近くにもなってなんば言いようとかいなこの人はと、叔母から叱られそうです。



やっと役割に馴染んできたのかもしれないな。

あっと言う間に終わるんやろね。
噛み締めていかな、です。



よし、横になるかー。

お墓。

お寺さんが納骨堂に建て替えるという事もあり、祖父が建てた立派な墓が無くなった。
父は未だに納得していないが、祖父のように備えがあるわけではなく、思いだけではどうにもならない事は父もよく分かっているので、墓守は僕に変わった。

恥ずかしながら僕も備えがあるわけではなく、子供の学費と単身赴任の二重生活費で鼻血も出ない暮らしなのだけど、お金をかけなくても出来る事はある。

それが家系図と過去帳の整理。

大きな意味なんてない。
人はただ何処からか来て何処に行くだけだし、生まれた事と亡くなった事を記録するだけ。
頼まれてやっているわけでもない。

記録したい、という気持ちは叔母の影響もあるのかもしれない。
叔母は祖父の日記をコツコツ書き起こして書籍にした。
(僕も一部真似てやってみている)

亡くなった人の思いを勝手に想像することは傲慢だと思われるかもしれないし、自分のフィルターを通すことで事実は歪んでしまうんだろう。プロのライターではないしね。

だから今のところ僕は事実だけで整理出来る家系図と過去帳の整理をゆっくりやっている。
家族の用務員みたいなものかもしれない。



家と家、人と人、過去と未来。
それぞれ距離をとりながらつきあうこと。

未だに無くならない戦争と争いを煽る言葉にうんざりしながら、それも僕の一部である事も痛感した終戦記念日だった。

自分の中に言葉や気持ちの墓を作れるんなら、まずは憎しみを粉々にして埋めたいデス。

ご心配かけてすみませんね。
メールとかありがとう。

母の手術は無事終了。

70歳からの癌はそんなに悪化せんと聞いたのでひとまず安心。
まあ、家系に多いので楽観はしてませんが。


働き盛り(というらしいが・・)の我々夫婦の血圧の上がり方がバブル並だったので、あと5年くらいは健康で生きれるよう頑張ります。
60歳にはなってみたいですけど。なるんだろうけど。 

明日は母・久美子が手術を受ける。
病院というところは入院しているだけで病気になれそうな空気があるので、術後の彼女を励ましたい。

ピンクリボンのイベントにバンドで参加しておきながら身内から癌患者を出す情けなさ。
運動も大事だけど、身近な家族を振り返る気持ちが俺には足りないよね。


こういう時には父の無駄な明るさが頼もしい。

なんの根拠もない自信。
TPOをわきまえないブラックジョーク。
勢いだけの人生。

本当に尊敬します。
男はこうでありたい。






今日は恩人からの電話に心が痛み、同僚からの依頼に役に立てず、まったくつまらん己を再確認したけれど、ギリギリまで可能性を探るだけじゃなく、諦める事も勧めようと思います。
今はまだ探る努力をする時間だから、まずは精一杯。
足るを知る、とは簡単に言いたくないんだよ。
先に努力しなくちゃね。



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